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ケネス・ジョン・ハリソン(Kenneth John Harrison, 1971年11月8日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州出身の野球選手(外野手)。長打力があり、変化球に対応する器用さや盗塁能力も兼ね備えていた〔。 == 経歴 == ハワイ大学では4年間で打率.341、11本塁打の成績を残し、特に最終学年の4年生では打率.389、8本塁打、60打点でウエスタン・アスレチック・カンファレンスのMVPに選出されている〔毎日新聞、1994年3月6日付朝刊、P.17〕。1993年のMLBドラフト2巡目でミネソタ・ツインズから指名を受けたが、MLBの選手としては体格が大柄ではなく、プロとして金銭的な報酬を求めるならNPBの方が適していると考え、入団を拒否〔朝日新聞、1994年3月19日付朝刊、P.3〕。ハワイに遠征してきた東京六大学選抜との対戦経験などから、日本式の厳しい練習で成長しNPBで活躍することを目指してに社会人野球の川崎製鉄千葉に入社した〔。MLBのドラフト指名を受けた選手が社会人野球でプレーするのはデレク・タツノ以来、史上2人目となった。 訪日直後の3月のJABA東京スポニチ大会から3番・右翼手としてスタメンで起用され、1本塁打を含む9打数3安打の成績を残している〔。同年の都市対抗では本塁打を放ち、日本選手権ではチームのベスト8進出に貢献して優秀選手に選出された。翌も公式戦打率.417の打撃で都市対抗出場に貢献したが、外国人選手枠との兼ね合いなどから獲得に至るNPBの球団は現れなかった〔朝日新聞、1995年7月22日付夕刊、P.8〕。2年間で公式戦打率.324、9本塁打の成績を残したが、コミュニケーション面での鬱積などもあり、2年契約の満了に伴い同年9月をもってアメリカに帰国〔毎日新聞、1995年9月30日付朝刊、千葉地方面〕。はピッツバーグ・パイレーツ傘下(当時)のA+級リンチバーグ・ヒルキャッツでプレーした〔baseball-reference.com マイナー成績 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケニー・ハリソン (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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